01国語 PR

リリー・フランキー:母が残した最期の手紙で分かる母の愛

リリーフランキー:母が残した最期の手紙で分かる母の愛
記事内に商品プロモーションを含む場合があります

リリーフランキーと母親の関係は、日本全国の多くの人々に感動を与え、社会現象にもなりました。

母親からの最期の手紙は、リリーフランキーにとって、淋しさと悔しさ、そして何よりも母への感謝と愛情が詰まった貴重なものでした。

この記事では、リリーフランキーと母親がどのような深い絆を築いていたのか、母親からの手紙を通してその核心に迫ります。

小説『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』は、リリーフランキーの自伝小説であり、その中の母からリリーフランキーへの手紙内容を引用しています。

それでは、リリーフランキーと母親との間に流れる深い愛情と尊重、そしてその感動的な物語について詳しく探っていきましょう。

この記事で分かること4つ

  • 母親が残した手紙の内容とその影響
  • 母親の手紙がリリーフランキーに与えた心の変化と成長
  • リリーフランキーと母親の深い絆と愛情
  • リリーフランキーが母親に対して抱く感謝と尊敬
  • リリーフランキーと母親の関係を通じて社会現象がおきた
  • 社日本全国の多くの人々は自分自身の家庭や人生について考え直すきっかけを得た

※この記事を読んでいただいたみなさまも、なにか家庭や人生について考え直すきっかけをつかんでもらえば幸いです。

リリーフランキーが母との暮らしを綴った自伝小説

  • 小説『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』の単行本発刊
  • 小説『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』の概要と背景

小説『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』の単行本発刊

リリーフランキー:母が残した最期の手紙で分かる母の愛
出典:扶桑社

東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』は、リリー・フランキーの自伝的小説です。

en-taxi』(扶桑社)創刊号から9号に連載していたもので、2005年6月29日に扶桑社から単行本として刊行されました。

小説『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』の概要と影響

『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』の主な概要と影響

  1. 自伝的要素: この小説はリリーフランキーの自伝的長編小説であり、彼自身と母親、そして時々現れる父親についての物語である。
  2. 筑豊の炭鉱町から東京へ: 4歳のときに父親と別居した後、リリーフランキーは母親と筑豊の小さな炭鉱町で暮らし、その後上京して東京で苦闘する日々を送った。
  3. 母親との関係: リリーフランキーの母親は還暦を過ぎてからガンと闘っていた。この小説は、母親との深い絆と闘病生活を描いている。
  4. 社会現象: この小説は社会現象にもなり、200万部以上のベストセラーとなった。本屋大賞受賞、映画化、舞台化、テレビドラマ化などもされた。
  5. 文壇への影響: この小説は、リリーフランキーが「小説の専門家でない俳優の立場」でも作品を発信できるという新しい風を文壇にもたらした。~異業種俳優の草分け~
  6. 多面的な影響: この小説の影響は多岐にわたり、リリーフランキーの周りの人々も小説を書き始め、将来の夢を聞くと「小説家」と答える子が増えたとも言われている。

母が息子リリーフランキーへ残した最期の言葉

  • 母から息子リリーフランキーへの手紙を発見
  • 母から息子リリーフランキーへの手紙の内容:引用
  • 母から息子リリーフランキーへの手紙の内容:要旨

母から息子リリーフランキーへの手紙を発見

母が残したリリーフランキー自身のヘソの緒が入った箱から「ママンキーのひとりごと」と書いたリリーフランキーへの手紙(1枚の紙)が発見された様子

最後に箱の底から出てきたものは、手のひらほどの大きさのメモ帳だった。
百円ショップで売っているようなビニールカバーのついたメモ帳。そのビニールカバーに紙が一枚挟んであって、そこには「ママンキーのひとりごと」と書いてあった。
これがオカンの遺書だった。

引用元:「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」より

母から息子リリーフランキーへの手紙の内容:引用

その内容は次の通り(※「マー君」とは母や身内がリリーフランキーを呼ぶときの呼称)

マー君
長い間どうも有難う
東京の生活はとても楽しかった
オカンは結婚には失敗したけれど
心優しい息子に恵まれて
倖せな最後を迎えることが出来ます
小さい頃は泣虫で病弱だったので
神仏にお願いする時は先ず健康
そして素直な子に育つように
長じてからはやはり健康が一番
それから商売繁盛 最近は欲張って
彼女と二人分の交通安全も祈願しています
ただ一度たりとも
自分のことをお願いしたことはありません
これからは彼女と楽しく仲良くして下さい(中略)
オカンは倖せな幕引きが出来て
何も思い残すことはありません
ほんとうに有難う
そしてさようなら
これからも健康には充分気をつけて
決しておごることなく
人の痛みのわかる人間になっておくれ
中学校の時の伊藤先生が
中川君は男の子にも女の子にも好かれていますと
言われたことがうれしかった
勉強の出来る子より
そういう人間になってもらいたかったから(中略)
オカン
メモ帳の上に涙がボタボタ落ちた。 歯をくいしばっても声がこぼれて大声で泣いた。 淋しさと悔しさ。申し訳ない気持ちが胸の中で張り裂けるようだった。

引用元:「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」より

手紙の内容:要旨

  1. 母親は、自分が結婚に失敗したけれども、心優しい息子に恵まれて幸せな最期を迎えることができたと述べている。
  2. 母親は、息子であるリリー・フランキーに対して、感謝の気持ちと愛情を込めた言葉を残している。
  3. 母親は、自分自身のことよりも、息子の健康や幸せを願っていた。
  4. 母親は、息子が決しておごることなく人の痛みがわかる人間になることを望んでいた。
  5. 母親は、息子が中学校の時に先生から「中川君は男の子にも女の子にも好かれています」と言われたことが嬉しかった、その理由は、息子が勉強のできる子よりも、そういう人間になってもらいたかったからだと述べている。

リリーフランキー:母との最期の別れ

  • リリーフランキー:母との別れ「オカン、ありがとう」の手紙
  • 母との最期の別れの場面:要旨
  • リリーフランキーと母親の母子関係
  • リリーフランキーと母親の母子関係が読者に大きな感動と共に大きな影響を与えたこと
  • フランキーと母親の母子関係が感動を与えておこった社会現象

リリーフランキー:母との別れ「オカン、ありがとう」の手紙

二〇〇一年四月十五日。
二十一世紀になって初めての春。
ボクの一番大切な人。たったひとりの家族。 ボクのために自分の人生を生きてくれた人。
ボクのオカン。
オカンが、死んだ。
その日、東京は突き抜けるような快晴で、青空がどこまでも広がる中、赤羽橋の交差点か
ら、真っ赤な東京タワーが空にはしごを掛けていた。
ボクが子供の頃から一番恐れていたこと。宇宙人の襲来よりも、地球最後の日よりも恐れていたこの日。
悲しみの始まりと恐怖の終わり。
「これからお母さまは荼毘に付されますので棺極に生前お好きだったものを入れて差し上げて下さい」
葬儀社の中年男性が言う。(中略) ボクもオカンに手紙を書いて入れた。
ボクは今まで、オカンにちゃんと「ありがとう」と言ったことがあるのだろうか。
小さなこと、大きなこと、毎日のことやこれまでのこと。 そのひとつずつに言うべき感謝の言葉も、それはいつの間にか当たり前のことになってしまって、最後まで言葉で伝えることができなかった気がする。
これまで苦労させたことも、迷惑をかけたことも、心配させたことも、それはいつかお返しができるものだと思って、ほったらかしにしていた。でも結局、それができないばかりか、 ひとこと 「ありがとう」とも言えなかった。
希望を込めて想う「いつか」はいつまでも訪れることがないのかもしれないけれど、恐れている 「いつか」は突然やってくる。
「オカン、ありがとう」
手紙でしか言えなかった。生きとる時に言うてやったら、どんなにか喜んだやろうのにか
ら。

引用元:「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」より

最期の別れの場面:要旨

  1. リリー・フランキーは、母親の死を悲しみ、恐れていたことが実現してしまったことにショックを受けている。
  2. リリー・フランキーは、母親が自分のために自分の人生を生きてくれたことや、自分の健康や幸せを願ってくれたことや、人の痛みがわかる人間になることを望んでくれたことを感謝している。
  3. リリー・フランキーは、母親が残した手紙に対して、涙を流して泣いている。母親の愛情や願いが詰まった手紙に触れられたことで、淋しさと悔しさと申し訳ない気持ちが胸にこみ上げてくる。
  4. リリー・フランキーは、母親の死を受け入れられずに、別れの最期に母親へ手紙で「ありがとう」と言うことしかできなかった。母親に喜んでもらえるようなことをしたかったけれど、それができなかったことを悲しんでいる。

リリーフランキーと母親の母子関係

リリーフランキーと母親の関係は、多くの人々に感動を与えるとともに、母子関係における新しい視点を提供しています。

母親

母親は、息子であるリリーフランキーに対して無償の愛と感謝を持っていました。

特に、彼が幼い頃から成長する過程で、母親は多くの困難と闘いながらも、常に息子を支え続けました。

この母親の愛情は、彼女がガンと闘病する過程でさらに深まり、その闘病生活が息子に与えた影響は計り知れません。

息子(リリーフランキー)

一方で、リリーフランキー自身も母親の死に対する悲しみ、後悔、そして未練を持っています。

しかし、それらの感情が彼の作品に表れることで、多くの人々は母親への深い愛情と感謝、そして母親が亡くなった後も続くその影響を強く感じ取ることができます。

リリーフランキーと母親の母子関係が読者に大きな感動と共に大きな影響を与えたこと

この母子関係は、家庭内での愛情だけでなく、病気、死、そして人生の過酷さに対する深い洞察をもたらしています。

リリーフランキーと母親の関係を通じて、多くの人々は自分自身の家庭や人生について考え直すきっかけを得ました。

リリーフランキーと母親の母子関係は、単なる親子の絆を超えた多層的な影響を社会に与えています。

リリーフランキーと母親の手紙の部分の口コミレビュー

多数ある口コミレビューの中から、2人の手紙の部分についてまとめてみました。

1. 母親からの最期の手紙が心に響く!
  • この作品で最も感動的なのは、リリーフランキーの母親からの最期の手紙だ。
  • この手紙には母親の深い愛情と、息子への願いや思いが詰まっている。
  • 読んでいると、母親がどれだけ息子を愛していたのかが手に取るようにわかる。
  • この手紙は、親子の絆の大切さを誰にでも感じさせてくれる力強いメッセージだ。
  • 読んでいると、自分自身の親子関係についても考えさせられた。
2. 息子から母親へ手紙「ありがとう」という一言に涙
  • 「東京タワー」で特に印象に残ったのは、リリーフランキーが母親の棺に「ありがとう」と書いた手紙を入れる瞬間だ。
  • この一言は、悲しみの始まりでもあり、恐怖の終わりでもある。
  • リリーフランキーが「ありがとう」という言葉に込めた感謝と愛情が、この作品を特別なものにしている。
  • この瞬間を読むと、自分が親に対してどれだけ「ありがとう」を言っているのか、考えさせられる。
  • この一言には、言葉にできないほどの感謝と愛情が詰まっている。

フランキーと母親の母子関係が感動を与えておこった社会現象

  1. ベストセラー: 作品は200万部以上を売り上げ、広く読まれました。
  2. 映画化・ドラマ化: この小説は映画やドラマにもなり、更に多くの人々に影響を与えました。
  3. 母子関係の見直し: 作品は多くの人々に母子関係を見直すきっかけを提供しました。
  4. 闘病話題: 母親のガン闘病が描かれており、闘病中の人々やその家族にも影響を与えました。
  5. 文壇への影響: 作品の成功は、新しい形の文学表現が可能であることを示しました。
  6. 社会的タブーの破壊: 作品は家庭内の問題や病気など、一般にはあまり話されないようなテーマに触れ、社会的なタブーを破壊しました。
  7. 自伝的作品の評価: この作品の成功により、自伝的要素を含む作品が一般に受け入れられるようになりました。
  8. 地方と都市のギャップ: 作品は地方と都市、それぞれの生活と価値観の違いにも焦点を当てました。
  9. 年齢を超えた共感: 若者から高齢者まで、多くの年齢層から共感を得ました。
  10. 社会問題への議論: 作品は、家庭のあり方、病気、死などについての社会的な議論を呼び起こしました。

以上のように、リリーフランキーと母親の母子関係は、多くの人々に感動を与え、多面的な社会現象を引き起こしました。

まとめ:リリーフランキーの母が残した最期の手紙で分かる母の愛

  1. 作品は家庭の破壊と再生、母と子の絆、人生の厳しさと美しさを描いていた
  2. リリーフランキーは母親と筑豊の小さな炭鉱町で暮らし、その後東京で苦闘した
  3. リリーフランキーは母親の死に深くショックを受けた
  4. 母親は残した手紙で息子に対して感謝と愛情を込めた言葉を残していた
  5. 母親は息子であるリリーフランキーに無償の愛と感謝を持っていた
  6. 母親は息子に対して、自分の健康や幸せよりも息子の健康と幸せを願っていた
  7. 母親は息子が人の痛みがわかる人間になることを望んでいた
  8. 母親は心優しい息子に恵まれて幸せな最期を迎えたと感じていた
  9. リリーフランキーは母親からの手紙に涙し、淋しさと悔しさがこみ上げた
  10. リリーフランキーは別れの最期に母へ「ありがとう」と手紙でしか言えなかった
  11. 作品はリリーフランキーが「小説の専門家でない俳優の立場」でも作品を発信できる新しい風をもたらした ~異業種俳優の草分け~
  12. この作品は社会現象にもなり、多くの賞を受賞し、映画化、舞台化もされた
  13. リリーフランキーと母親の関係を通じて、多くの人々は自分自身の家庭や人生について考え直すきっかけを得た

      

かん

余談ですが、私はリリーフランキーの母親に大変お世話になっていたので、入院中の病院へ最期のお見舞いに行きました。私が病室に入ったとき、姉妹に囲まれベットで横になったリリーフランキーの母親がいました。そして横になったままコチラを見て、ニコッと最高の笑顔を見せてくれました。声が出せない状態でしたが、その笑顔を見た私には「マー君のことよろしくね」と言っているようで今でも忘れられません。

【人気・まとめ記事】60代・70代の「昭和時代」関連記事

【人気・まとめ記事】「家族+」記事一覧

【人気・連載記事】【連載・一覧】海外旅行の醍醐味を知る添乗員の旅行記&エッセイ

【人気・まとめ記事】【人生100年・70歳のリアル出口戦略】親子2世代・NISA運用